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直近で彼の名前が大きくクロースアップされたのは、おそらく当時の自民党・福田-民主党・小沢による大連立構想が持ち上がったときではなかったか。
当時の記事はこう伝える。
●検証―自・民『大連立構想』 お膳立て読売・渡辺氏か
2007年11月4日 10時03分 - 東京新聞
(期限切れ)
トップフリーインディアン分類サイト■検証『大連立』頓挫
福田、小沢の一回目の会談がセットされたのは十月三十日。福田は新テロ対策特別措置法案の成立に協力を求めたが、小沢は「自衛隊の海外活動は国連決議に基づくものに限るべきだ」との持論を展開。平行線が続き、再び会談することになった。二人とも連立は話題にしなかったと説明しているが、自他共に認める大連立論者の渡辺が仲立ちをして会談が実現することが広がると、与野党幹部の間では「当然、大連立の話もしているはずだ」との憶測が渦巻いた。
二日午後三時から始まった再会談。福田は自衛隊海外派遣の恒久法を検討する代わりに、新法案への協力を求めた。
しかし小沢は、ここでも原則を譲らなかった。平行線のまま一時間経過すると、福田は「あなたの原則と新法案 が法的に合うか検討してみる」と中断を提案。会談をしていた国会から首相官邸に戻って、官房長官・町村信孝らと対応を協議した。
小沢も、党本部に戻り民主党代表代行・菅直人や幹事長・鳩山由紀夫と対応を検討。鳩山らは「もし大連立を提案されたら、『小沢首相』の実現が条件だ。就任したら、すぐに解散すればよい」と小沢が安易な妥協をしないようくぎを刺した。
午後六時半の再開後、福田は「国連決議で認められた活動に限るという前提で、恒久法がつくれるかどうかを検討する」と小沢の主張を丸のみする考えを示した。さらに、「今日の状況の中で力を合わせないと政策実現できない。連立を組んでいただけないだろうか」と、ついに本題を持ち出した。
小沢は「そんな大きな話はここでは決められない」と回答を留保。約一時間で会談を打ち切り、党幹部と協議するため党本部に戻った。
連邦政府の行政機関は何ですか
福田は、成算があったのだろう。会談後、伊吹に「もし、民主党がオーケーの返事を出したら、政策協議機関を設置して滞っている政策を中心に実行する」と指示。直後に記者会見した伊吹は「ボールは民主党にある� �と、民主党に決断を促した。
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だが、ほどなくして福田のもとには、期待に反する知らせが届く。
「誠意ある対応をしていただきましたが、結果として、のめません」
小沢は二日午後九時半すぎ、民主党本部八階の代表室で、福田に電話で大連立拒否を伝えた。
小沢は党首会談終了後、民主党の役員会に出席。「政策協議が(大連立の)入り口だが、どうだろう」と切り出した。
小沢は「政策協議をしていけば、参院選で掲げた公約を実現できる。ただし、本当の意味での政権交代ではない。国民がどう見るかも分からない」と、大連立参加のプラスとマイナスを説明した後、「両院議員総会を開こう」と提案した。小沢は最後まで連立への賛否は口にしなかったが、党の正式� �� 議決機関である両院議員総会の開催を提案したことからも、小沢が連立に傾いているのは明らかだった。
しかし、これに対し「政権に入ることが目的なのではない。政権交代が目標だ」「大政翼賛会的で国民の反発を招く」と反論が続いた。発言者は六人。全員反対だった。
小沢は「みんながそう言うのなら、分かった」と決断。大連立構想は表に出てから、わずか数時間で頓挫した。
ブルーカラー労働者は何を意味する
町村は記者団に「答えがこんなに早く出るとは思わなかった。しかも、ノーという答えが。意外であり、かつ残念だ」と福田の思いを代弁した。
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自民党の連立パートナー、公明党代表・太田昭宏に大連立打診の可能性を福田から知らされたのは、二日午後二時半の与党党首会談の席だった。大連立が実現すれば、公明党は自民党から使い捨てにされかねず、党内は動揺した。
小沢が連立の打診を持ち帰った後、公明党は、常任役員会を開いて対応を協議。その最中に、民主党が申し出を拒否したとの一報が入ってきた。
ある幹部は「ボールを投げたと思ったら、あっという間に返ってきた。そして、ボールはなくなって� ��まった」と皮肉な笑いを浮かべた。
小沢は、提案を持ち帰ったことで党内の疑心暗鬼を招いた。
福田はいきなり切り札を切ったのに成果は得られず、公明党の不信も買った。
私達のキューバ産葉巻有効です
「福田も小沢も両方傷ついた」
自民党の閣僚経験者はこうつぶやいた。 (敬称略)
さて、あれから3年が経った。
それは小沢念願の政権交代を含むほどの劇的な3年間だ。
しかし、その小沢は今や党内の代表選で、あの菅直人に負けてしまうほどのポジションにいる。
もちろん、政権交代前から前回の民主党代表選でのまさかの出馬表明まで、"小沢総理"誕生の可能性を我々が感じることはほとんどなかったわけなのだが、前回の"敗北"以降、彼の動きもじわじわ表立ってきたように思う。
前� ��の出馬表明以降でさえも、小沢一郎が大切にしていたのは「民主党政権の成功」である。その思い(前掲の記事中でも彼が訴えていた、彼にとっての「本当の意味での政権交代」)は、菅政権中に実現しないのは誰の目にも明らかである。
いま仮に自民党政権が復権したとして、民主党政権との違いは何なのだろうか。子ども手当てを無に帰す以外に、考えられる手段は案外ないように思う。
そんな中、興味深い会談が昨日行われている。
文字のURLとは何の略か?
●鳩山兄弟、小沢・舛添氏会談…政界再編も話題に
(2010年12月8日22時33分 読売新聞)
民主党の鳩山前首相、小沢一郎元代表、前首相の弟の鳩山邦夫元総務相(無所属)、新党改革の舛添代表の4氏が8日夜、東京都内のすし屋で会談した。
出席者によると、前首相と小沢氏は「菅政権は我々を切って政権を浮揚させようとしている。協力しようがない」との見方で一致した。連立政権の枠組みを増やすことや、政界再編も話題となった。会談は前首相が呼びかけた。
この場に民主党内の"脱小沢"組が含まれていないことは興味深い。
実際にも政権と小沢側の溝は決定的に広まってきていると述べて問題ないように思う。
●政倫審めぐり党内対立激化=「議決は核のボタン」小沢氏系が反発-民主
2010/12/08-23:01 時事ドットコム
民主党内で岡田克也幹事長ら執行部と小沢一郎元代表の対立が激化してきた。岡田氏が衆院政治倫理審査会での議決による小沢氏招致の考えを示したのに対し、小沢氏は12日投開票の茨城県議選で敗れた場合には両院議員総会を開催すべきだと、岡田氏らをけん制した。小沢氏に近い議員からは「(議決は)核のボタンを押すのと同じ」と岡田氏を批判する声も相次いでおり、党内にきな臭さが漂ってきた。
なぜ武装SSは、必要とされた
さて、いくらウィスキーを飲みながら文章を書いている私でも、タイトルでも冒頭でも"ミスターワタナベ"の名を出したことは忘れてはいない。
実はその"ミスターワタナベ"、小沢側とも自民党側ともここ数日中に接触をしているのだ。
その確認には、以下の記事を参考に必要部分のみを抜き出す� �
●「大連立」の動きか=菅・森会談で自民に波紋
2010/12/08-23:41- 時事ドットコム
自民党の森喜朗元首相が8日、菅直人首相と首相官邸で会談し、同党内に波紋が広がった。森氏は福田政権下の2007年秋に起きた民主、自民両党による大連立構想の仲介役。菅政権の苦境を踏まえ、実現に向け再び動きだしたとの見方が多いが、党内には反発も強い。
こうした中、森氏の動きとタイミングを合わせるかのように、自民党の谷垣禎一総裁が8日、07年の大連立に関与した渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長と会談した。党幹部によると、渡辺氏は席上、民主党との大連立を打診。同氏は7日に民主党の鳩山由紀夫前首相とも都内で会っており、大連立に動き始めたとみる向きがある。
つまり、小沢、鳩山兄弟、舛添のすし屋での4者会談は、その参加者でもある鳩山兄が、渡辺氏と会った翌日に行われていることになる。
そして、上記の記事に拠れば、その"ミスターワタナベ"は同日中に自民党・谷垣総裁にも会っているというわけだ。
前回の民主党代表選出馬表明から、小沢一郎の動きがより積極的なものとなってきており、彼の発言が紙面に登場すること も多くなってきている。
あれから3年、一度は破断した"大連立"は、民主分裂→自民分裂シナリオとして再浮上している。
※勝手ながら、今回分の更新で私本来の担当である次の日曜日の更新に代えさせていただきます。
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