金子氏は会見等で、Winnyで実現できなかったこと、そしてWinnyの次について語り始めている。
Freenetに触発されて開発されたWinnyは、Freenetの匿名性を保ちながら、それと相反する効率性を追求したものである。その目的はある程度達成され、Winnyは多くの利用者からの支持が得られた。
!doctype>金子氏は会見等で、Winnyで実現できなかったこと、そしてWinnyの次について語り始めている。
Freenetに触発されて開発されたWinnyは、Freenetの匿名性を保ちながら、それと相反する効率性を追求したものである。その目的はある程度達成され、Winnyは多くの利用者からの支持が得られた。
!doctype>Ba Design Talk LiveのUST中継、2月25日、無事終了しました。160名を超える方々(最大瞬間風速)にご視聴いただきましたこと、心より感謝です。
ご登壇いただいた長岡先生、岡部さん、富澤さん、保谷さんありがとうございました。
中継、事務などをお手伝いいただいた中澤さん、脇本君、我妻さん、吉川さん、ありがとうございます。
下記、当日の録画映像です。
下記の埋め込み動画が、うまく再生できない場合はこちらのUSTサイトをお試しください。
NAKAHARA-LAB on UST
【前篇】
【後編】
こちらは、まとめサイトをフツサラさん�/span>
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■2011/02/22 Nakahara's Twitter
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■2011/02/21 Nakahara's Twitter
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■2011/02/20 Nakahara's Twitter
投稿者 jun : 2011年2月24日 07:00
最近、拙著「知がめぐり、人がつながる場のデザイン」をお読みいただいた方から(感謝です!)、追加情報、追加の参考文献の紹介の問い合わせを、何件かいただきました。
今週金曜日には、UST中継「Ba Design Talk Live」をやることもあり、一度、情報をまとめておいた方がよいと思い、ブクログに「Learning barの関連理論本」の本棚をつくりました。
Learning bar(ラーニングバー)理論的背景の本棚
Ba Design Talk Live
「Learning barの関連理論本」の本棚は
1)なるべく日本語で読める本をえらぶこと
2)上限100冊程度にすること
3)理論的背景を説明する本を中心にえらぶこと
という方針のもとに選びました。ですので、漏れている本もあると思います。
このように整理してみると、Learning barの知識ドメインは、
1)学習/創造の基礎理論
2)演劇教育・身体論
3)プロセスの知(エスノグラフィー的な目)
4)社会構成主義
5)支援学
6)場・ネットワークの理論
7)日本文化論(おもてなし論)・都市論
8)動機論
9)ストーリーテリング論・ナラティブ論・メディア論
10)各種実践の本
となるんだなぁ、と改めて思いました。これらが「ごった煮」になったのが、Learning barのバックボーン・コンセプトなのかもしれません。
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この本棚をつくっていて、あらためて感じたのは、3)プロセスの知(エスノグラフィー的な目)というものの重要性です。一見、「Learning bar」と「プロセスの知」は、全く「無縁」であるように感じます。しかし、これは僕にはとても関連しているような気がするのです。
つまり、Learning barなどの「働く大人が学ぶ場」をデザインする側には、「プロセスに対する詳細なまなざし」が必要なのではないか、と。それを育む場として、物事を子細に見るトレーニング、たとえばエスノグラフィーなどが、とても役立つのではないか、と思うのです。
(僕がプロセスに対して敏感だというわけではありません。むしろ、多々、疎いところがありますね。基本的に「靴下ぽいぽい男」ですので(泣)。小生も修行中です)
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僕が「プロセスの知」、具体的には「エスノグラフィー」や「フィールドワーク」を体験したのは、学生の頃でした。
学生時代やったフィールドワークで、徹底的に、当時の指導教員に指導されたのは、「一般論でくくるな、固有名詞で把握しろ」、「アウトプットを見るな、プロセスを見ろ」ということでした。教室に入ったその瞬間から、子どもの名前を憶え、その一挙一動を見るように強く指導されました。
「子どもは・・・であった」という「一般的現象」を記述するのではなく、どんなにベタでもいいから、「●●ちゃんは、○○君は・・・あのとき、していて、こうなった」というプロセス、出来事を記述するように繰り返し、繰り返し言われたのです。
僕は「頭でっかちな学生」でした。
最初は、先生の言っていることが全く理解できず、非常に困惑しました。ある先生には「こんな個別具体的な事象を積み重ねたって、学問にならないんじゃないですか」と迫っていたこともありました。
これは後日談ですが、ある先生は、当時の僕を評して、「あの学生は、心から納得していないときは、それがすべて顔にでている」「あの学生は、まだ、疑っている」とおっしゃっていたそうです。それくらい、僕には、先生方のおっしゃる意味が、わかりませんでしたし、時々違和感を感じていました。
先生は、月一で論文指導の時間を設けてくれました(ありがたいことですね)。僕が、「一般論」を持っていたいったときなんかは、
「おぬしのいう、この子どもってのは、<誰>なんだ?」
「おぬしのいう、この出来事は、誰がどういうことをしたときに起こったのだ?」
「くだらない一般化をするな」
「頭の中で考えたことに、勝手にまとめるな」
と言われました。
「おぬしのフィールドでは、最近、どんな"ストーリー"があった?」
「おぬしの面白かった"出来事"は何だ?」
当時は「かったるくて、ぬるくて、ウザい問いかけ」だと思っていたけど、今になって、その意味がよくわかりますね。僕は、本当に「頭でっかち」の学生でした(今もだね・・・反省)。
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でも、今になって思うのです。「固有名詞を見る」「プロセス・出来事を見る」は、当時は非常に困惑しましたが、大変「ありがたい経験」「貴重な経験」であったな、と。今になって思えば、様々なところで重要な視点になっていると思います。
特に、ワークショップ、ファシリテーション、場づくりなど、自分が「実践家のひとり」として実施していることで必要な最大のポイントは、「プロセスに対する敏感なまなざし」「今起こっている出来事に対する洞察」であるように感じます。
目の前の人たちがどう動いているのか、何にワクワクしていて、何に困惑しているのか。何を話して、どういう状態にあるのか。それをきちんと「見ること」「聞くこと」「解釈すること」ができなければ、その先に、どんな「打ち手」、どんな「ファシリテーション」の手法を身につけていても、それを、適切なタイミングで「行使」することは「不可能」であるからです。
Learning barの関連本に「フィールドワーク」などの「プロセスに関する知」の本を選んだのは、そういう理由です。フィールドワークやエスノグラフィーなどに観察する何冊かの本が選ばれていると思います。
僕もまだまだ、修行中なのですが、そういう本から学ぶことは多いと思いますし、それを読み終わったら、ぜひ、現場でプロセスの把握、エスノグラフィーの実践を試みてみるとよいのではないか、と思います。
そして人生は続く
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■2011/02/19 Nakahara on Twitter
!doctype>西ヴァージニア州選出の民主党議員で、政府のデータベース使用に関する下院小委員会の委員長を務めるボブ・ワイズは、「そう遠くない将来に、消費者は、自分がどこに行き、何を買ったかの記録をどこかのコンピューターが一つ残らず収集するようになるという可能性に直面することになろう。」と述べた。
米国プライバシー保護委員会の前委員長であるデービッド・リノウェスもこう懸念する。「雇用者や銀行や政府機関が、データベースを使って、国民一人一人の生活についての決断を本人も知らない内に下すようになる危険がある。」
最近、スーパーコンピューターのデータベースの進歩によって、「大半の米国人に関するかなりの個人情報を含む」事実上の全国データベースができあがっているという調査結果を、テクノロジー査定局が議会に報告している。
全国データセンターは十年以上前に議会で否決された。それは、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に出てくるような、一箇所に記録を保管する中央データバンクという発想であった。だが、先に述べた「事実上の全国データベース」はそれとは違い、何千もの別個のコンピューター化された記録システムによって構成されている。これらのシステムは、アメリカ国内ならほぼどこにいてもコンピューターによって電話回線で接続できる。多種多様なコンピューター化されたデータバンクを通して個人の情報を検索することにより、現在、政府の役人は、何千万人もの一般市民に関する電子情報を集めたり、諸連邦機関に限った場合でも三十億件はある個人情報を含む記録をコンピューターで一緒にまとめたり、比較したりする� ��とができると報告書には書かれている。
アメリカ市民自由連合のプライバシーとテクノロジー・プロジェクトの責任者、ジェリー・バーグマンはこう述べている。「議会が全国民に関する中央ファイルを確立する法案を提出しても否決されるだろうが、この報告から、表向きには許されないことが、すでに徐々に起こっていることがわかる。」
総合的な情報を含むシステムを作るには、必ず適切なファイルと相互参照できるようにしなくてはならない。しかし、これを可能にする唯一の論理的手段は、そのシステムの人間が一人残らず、本人だけの個人番号を所有することだ。名前では同姓同名のケースもあり、混乱を招く。番号だけが各人専用となる。
だから、ジョージ・オーウェルやアルドス・ハックスレーが予見したように、我々が番号をつけられ、常に追跡されているような社会はあとどのぐらいで実現するのだろうか?クリントン政権が一つヒントを与えている。クリントンは社会保障番号とつながっている「スマートカード」の使用を提唱することで、アメリカ国民に一人残らず総括的な身分証明カードを持たせようとしている。国民健康保険制度に加入するには、全国の身元保証プログラムへの加入が義務づけられることになる。クリントンの提案では、すべての子供が出生と同時に番号をつけられ、それが全国データベースに入れられ、一生追跡されるのだ。子供達は法律によって、予防接種や公衆保健プログラムへの参加が義務づけられるだろう。親は、国が定めた医療� ��針に従わないなら児童虐待と見なされ、子供がよそに連れ去られることもありうる。
米国の現政権は、事実上の全国IDカードの採用に多大な努力を払っている。クリントン大統領は、「他の法案にはどれだけ反対しようとも、ただこの目標に関しては、全員がその実現のために一致団結すべき」だと議員に呼びかけてさえいる!
国民身分証明制度が誕生しつつあると聞いても、それほど変には聞こえないが、社会保障番号が、定職につきさえもしていないよちよち歩きの子供にまで与えられていることを考えると、乱用される可能性は大だ。スマートカード産業連盟の刊行物「コミュニケーター」にはこう書かれている。
!doctype> キャノン砲(キャノン)は本来、小火器(ガン)に対する言葉ですから、火砲全体を指しました。
現代では、小型で極度の曲射弾道を持つ迫撃砲、比較的短砲身で放物線弾道を描く榴弾砲に対して、平射弾道で発射するものをキャノン砲と呼びます。
榴弾砲を直接標準、水平弾道で撃つことも可能ですから(最近の自走榴弾砲ではむしろ当然)、
キャノン砲と榴弾砲の間に厳密な区別はなく、主用途に従って命名した段階で決まると考えるのが妥当でしょう。
まあ、結果として、キャノン砲は平射、つまり水平に近い弾道で長距離を飛ばすために高初速が必要であり、砲身が長くなります。
また、直線弾道で命中すると言うことは、目標が直視できる場合がほとんどになるわけで、個別目標に対する直接照準になります。
榴弾砲は逆で、長砲身にする必要がありませんから、比較的砲身が短く、初速が遅くともよいことになります。
しかし、最近では榴弾砲に対する長射程の要求が強いため、榴弾砲でも長砲身、高初速のものが多くなっています。
結果として、榴弾砲の射程は数キロから数十キロに達し、直接照準はしたくてもできない距離になります。
砲弾の散布も大きくなりますから、榴弾砲は面目標に対する間接照準射撃となるわけです。
これも最近は誘導砲弾の出現などで例外が生じてきていますが。照準となるわけです。
キャノンが砲全体を指さなくなったのは、おそらくカロネードの出現頃かと思います(定かでない)。
帆船時代の装備として、小型短射程のカロネードに対して、大型長射程のキャノンがあったわけです。
この時点では、ともに直接照準だったわけであり、照準は砲尾にかましたくさびや船の揺れによる仰角だったわけですね。懐かしのホーンブロワー。
ttp://www.britains-smallwars.com/gulf/Iraqiarm.html#m30
にイラク軍の装備として資料が載っています。ごらんの通り、
重量3.15トン、砲身長4.88m、射程14.5kmなどなどです。
「かっこうほう」でも「かっくうほう」でも好きな方でいいんじゃ?
「滑空砲」はまちがいだが。
弾の直径に比べて砲身の長いのがカノン砲、短いのが榴弾砲、チョー短いのが臼砲
でも、榴弾砲の砲身がやたらと長くなり、臼砲の無くなった現代では死語。
(くだらない質問はここに書け!:685)
キャノンと言うのは砲の事なので「キャノン砲」という言葉はありません。
ちなみにキャノンというのは普通、火薬の燃焼ガスによって発射される銃砲(要するに普通の砲弾)の事を言います。
バズーカは普通、無誘導ロケット弾のランチャーの事を言います。
(くだらない質問はここに書け!:982)
普通の大砲は、砲身をあんなに上に向けられませんし、いろんな方向にくるくる回せるようにもなっていません。
普通の砲弾は、設定した高度(に達する時間)で爆発するような信管を使っていません。
R4Mロケット弾は登場時期が遅すぎて、余り戦果を上げることなく終わりましたが、
飽和攻撃兵器として爆撃機に使用するならば効果的な兵器です。
III./JG7による1945/03/18の初使用の時に、28機の攻撃で12機の重爆と
1機の戦闘機を一度に撃墜した戦果があります。
また、3/31には、38機で14機以上を撃墜しました。
このほか、ガーランド率いるJV44では、4月1ヶ月で50機以上の戦果を上げ、多くはR4Mによる戦果です。
戦後、米空軍が爆撃機迎撃のためにミサイル実用化までの繋ぎとして、
2.75インチのロケット弾を搭載したのも、その活躍があったからではないでしょうか。
(27:眠い人 ◆ikaJHtf2)
面制圧には向いてます。
ソ連軍はゲリラ相手に重宝したらしいです。
砲身が口径に比して短く射角の大きい砲で、城や堅固な陣を攻めるのに用いた。
旧式艦砲が陸揚げされて使われることが多かった。
艦とちがってローリングしないので命中率良好。
第一次大戦でトルコのボスフォラス海峡の砲台が英戦艦を撃珍している。
まあ一般論だと、だいたい同じ口径、口径長、開発年、
門数の砲で、APを撃てば陸側が勝ちます
L90もライセンス生産じゃなかったっけ?
ライセンス生産品です。
とりわけ、砲身の精度に関しては、オリジナルと同様の精度を出せたのが、
日本の日本製鋼の製品だけだったため、
エリコン社が共同生産を熱烈に希望したのですが、
武器輸出を禁ずる日本の国是に反し、
仕方なくあきらめたというエピソードがあります。
無反動砲は大砲と同じく、火薬の爆発で砲身から撃ち出す。ただ
発射ガスや反動吸収体を後方にも撃ち出して中和してるだけ。
だから砲身にはガス圧が派手にかかる。バズーカはロケットで、
燃料の燃焼によって自分で飛んで出る。発射器はただの筒でよい。
歩兵が一人で運用できる、圧倒的な攻撃力を持っている、安価
欠点としては命中率他あるとは思うが
歩兵一人一人をを戦車の脅威とした点では脅威の兵器かと。
ヴェト=ナムで北の軍隊がそれをやったと思うが。
確か、そういうコンセプトの砲があったような。
今なら、迫撃砲で十分代用可能なのかな。
(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)
自衛隊が50年代に専用運搬車も含めて研究してましたが
、現在ではスペイン製やイスラエル製で130kg~140kg
台の120mm迫撃砲が有りますから、その性能を上回るのは難しいでしょう。
旧軍の山砲はバラせば100kg以下に分かれますが、総重量は500kg以上有ります。
それで75mmではチョット太刀打ち出来ないでしょう。
冷却水を抜くときはどうやって抜くのでしょうか?
M1917だと、銃口に近いジャケットの前端下部に、外部水缶のホース接続口と兼用の、
排水口が付いてる。
ちなみに、ジャケットの後端上部には、注水口がある。
他の水冷機関銃でも、似たような位置に、注水と排水のためのバルブが付いてるよ。
で、貴殿の想像通り、錆の原因になるし、運ぶときは軽い方がいいので、
普段は水を抜いて保管する。
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A. ある程度コンセプトやコンテンツが決まっていれば、企画の部分が短くできるので、最短1週間でスタートしてその後1週間以内に広告配信まで行うことができます。
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